うさぎ

 手話について書いてみます。

 ここでは、耳が聴こえる人を「聴者」、自分のことをろう者と思っている人を「ろう者」と表現します。「日本手話を使う人をろう者という」というような主張もありますが、わたしは無理に「ろう者像」というのを作ってしまう必要はないと思っています。自分でろう者と思ってたらそれで十分でしょう。


手話サークルにろう者が来なくなった…
 最近、といってもずいぶん前から、「手話サークルにろう者が来なくなった」という声をよく聞きます。ろう者が一人もいない、聴者だけでやっているサークルもめずらしくはありません。運営を工夫してろう者の参加を維持しているサークルもありますが、全体的に見れば、ろう者の手話サークル離れはどんどん進んでいるとみていいでしょう。
 わたしの手話キャリアは約30年です。30年前にわたしが行っていた手話サークルは、20代のろう者が10人以上いて、聴者も合わせると30人を超えるという盛況ぶりでした。いま、20代のろう者がこんなに集う手話サークルはほとんどないのではないでしょうか。あのころは、一週間に一度の手話サークルがほんとに待ち遠しかったものです。「手話で語り合える場」は、いろんな課題は含みながらも楽しい場でした。多くのろう者が「ほっとする場」だっただろうと思います。
 はっきりした記憶はないのですが、阪神淡路大震災の前後くらいでしょうか。ろう者が手話サークルに来なくなったと言われはじめたのは…。
 といっても、さーっと引いてしまったのではなく、なんていうか、手話サークルをひっぱってきていた年配のろう者の方々が体力的にもしんどくなってサークルから離れていく中で、かわりに若いろう者たちがサークルに入っていくという状況がなくなってきたのが大きいような気がします。
 わたしも、この問題については多くの人たちから相談を受け、いろんな集いでも話し合いました。15年くらい前なら、「それはサークルの運営が聴者中心で、ろう者が不満をもっているからですよ」とか「日本語対応手話が中心のサークルだと、ろう者が魅力を感じないからですよ」というような“解説”をわたしもやっていたのですが、いまは同じようなことは言いません。そんな問題じゃないと思うようになったのです。

ろう者は、「手話サークルどころじゃない」のかも…
 なぜ、ろう者、特に若い人たちが手話サークルに行かなくなったのでしょう? ある聴者と一緒にいろんな分析をしたことがあります。
 ・若い人たちが活動の場から離れる、入ってこないのはろう者だけではない。聴者も同じじゃないか。
 ・ろう者も生活が大変。この経済不況で手話サークルに参加するゆとりがないんじゃないか。
 ・日本語力のアップにともない、手話をあまり必要としなくなっている。
 こういうのも理由の一つかもしれませんが、わたしはもっと大きな理由として、ろう者が手話サークルを楽しみとする時代はすでに終わったんだと思っています。いま、ろう者はいろいろなことにトライしはじめています。いろんな分野で自己実現しようとしています。自分を発信しようとしています。悪い表現かもしれませんが、「手話サークルどころじゃない」のではないでしょうか。…こういう意味では、「ろう者の手話サークル離れ」は喜んでもいいことかもしれませんね。


「手話」以外につながろう!
 これは、単に手話サークルの問題に終わらないと思います。ろう者は聴者とのつながりは否定しておらず、むしろ強く求めています。しかし、そのつながりを「手話」以外に求めるでしょう。意識としてはそういう方向に進んでいくと思います。「手話どころじゃない」という意識を多くのろう者が持ちはじめても不思議ではありません。
 手話はひとつのすばらしい言語ですが、言語は言語にすぎないというのがわたしの持論です。いろんなことでつながるためには手話がまず必要になるかもしれませんが、必ずしも先に手話が必要とは思いません。
 聴者のみなさんも、「ろう者=手話」というステレオタイプな見方は捨てて、手話を超えたつながりをつくっていってはどうか、と思います。そのためのサポートをわたしの会でも考えていきたいです。