DSC03562

阪神淡路大震災のときに知的障害者の人たちが作ったトレーナー。今でもわたしの宝物です。
ハートをささげて、「がんばる心はつぶれへん!」  とってもいいでしょう?

阪神大震災特別号_ページ_1
阪神淡路大震災の10日後にわたしが作ったニュース。全国から多くの支援をいただきました。

阪神淡路大震災から18年
 1月17日。阪神淡路大震災から18年。実は、わたし、あの震災のときは兵庫県尼崎市に住んでいました。やっぱり実際に体験したことは忘れられません。東北の大震災の方が被災規模は大きいですが、やっぱり、わたしにとっては阪神の方が重いのです。18年というと生まれてから高校卒業までとほぼ同じ時間。でも、まるで昨日のことのように思い出します。
 わたし自身の被災は幸いにも大きくなかったのですが、そのあと、被災障害者に対する支援活動、聴覚障害者がいきいきと暮らせる街づくり、そして、このような大災害の際に聴覚障害者に対する生活支援・情報提供の拠点づくり…といろんな取り組みを仲間とともにやりました。生活支援・情報提供の場づくりは、今はNPO法人デフサポートおおさかとして開花しています。ほんとうに走馬灯のごとしです。

しかし、18年もたって何が変わったのでしょう?
 阪神淡路大震災以降、いろんな災害が続きました。そして、2011年3月11日に東日本大震災。情報インフラなどは当時とは全然違います。ツイッターやフェイスブックなどのSNSが東日本大震災においてはかなり役に立ったと言われています。阪神淡路大震災のときは、聴覚障害者は携帯メールもまだなかったんです。通信手段はFAXだけでした。若いみなさんは想像できないでしょうね。ずいぶん変わったものです。
  しかし、わたし、基本的に何も変わっていないと思うんです。少なくとも意識面においては…。「みんなが大変なときに、障害者だからといってわがまま言うな!」という意識は変わっていないと断言できます。考えてみてください。東北の震災報道でどのくらい障害者のことがとりあげられましたか? ほんとうに少ないですよね。社会の、行政の障害者に対する意識はその程度です。

「がんばる心はつぶれへん!」を胸に…
 阪神淡路大震災のときは、障害者自身の復活をめざした取り組み、そしてそれに対する支援の取り組みはすごいものがありました。
 それはたぶんに、障害者運動が先進的であった大阪が近かったためでしょう。まずは、神戸の知的障害者の人たちが「がんばる心はつぶれへん!」を合言葉に復活の取り組みを始めました。わたしたち聴覚障害者も大きな刺激を受けました。
 「がんばる」という言葉は軽い気持ちで使ってほしくないという人もおられましたが、この「がんばる心はつぶれへん!」はわたしにとっては大きながんばるエネルギーとなりました。いまでも、ふつふつと気持ちがわいてきます。
 これからも、「がんばる心はつぶれへん!」の気持ちで歩んでいきたいと思います。