iPhoneのJR西日本運行情報の画面
■ 雨、降りませんね。
梅雨なのに空梅雨気味です。でも、気象庁のあんなに早い梅雨入り宣言がおかしかったんではないかなあ、とも思います。なんか言い訳っぽいですね。
わたしの学校の南西側は天王寺方面。あべのハルカスが見えます。しかし、この「あべのハルカス」、なんてダサいネーミングなんでしょう。あの近鉄だからたいしたものにならないと思ってましたが…。ある意味、ネーミングが一番大事なのに…。何百億円ものお金がこのネームでパーになるんじゃないでしょうか。
■ バリアフリー、最近下火です。
このブログ、ほんとうは聴覚障害者に関連するいろんな問題を取りあげようと思ってたんですが、やっぱりICTの活用についての記事が多くなりました。
ちょっとバリアフリーについて気になったのでキーボードに向かいました。何が気になったのかといいますと、バリアフリーを進める声・取り組みが、障害当事者、障害者団体からもあまり発信されなくなったことです。「そんなことはない、情報不足だ」と言われるかもしれませんが、わたしは阪神淡路大震災をきっかけにしてバリアフリーの運動も多くやってきました。今はあんまりですが、アンテナはまだしっかりしているつもりです。
言っちゃうと、日本のバリアフリー、阪神淡路大震災以降、いろんな災害が続きましたが基本的なところでは何も改善されていないと思うんです。そして今、当事者からの運動も下火になってきていると感じるのです。その原因としてはいろいろあげられますが、情報通信技術の進歩が大きいのではないかと思います。スマホをつかってサイトやSNSサービスなどでいろんな情報がすぐにわかりますね。
それで満足しちゃってるんじゃないでしょうか。でも、わたしは錯覚してはならないと思うのです。便利な機器・サービスが普及することと、事業者の社会的責任は別のこととわたしは思うのです。つまり、自分だけが便利な機器を持ってて助かったというのは本当のバリアフリーとは言えないと…。
■ 例えばこんなこと。
具体的な例を出して言いますと、先週、こんなことがありました。帰りのJR大阪環状線。JR大阪環状線、しょっちゅう遅れます。この日も森ノ宮駅で動かなくなりました。当然、車内アナウンスがあります。聴こえる人はなぜ止まっているかわかります。わたしは聴こえないのでわからないです。こういう時、以前はものすごく悔しい思いをしました。「オレも知りたい!」と…。
この日は、iPhoneを取りだして、Sfariで「JR西日本運行情報」と検索して一発で出ました。「大正駅で車両故障のため遅れております」と…。うれしかったですね。でも、すぐに複雑な気分になりました。「同じことができない、つまり携帯やスマホを持っていない人はどうなんだろうか?」と…。やっぱり、バリアフリーというのは自分だけが便利な機器を持っていて解決でOK!ではないと思うんです。どんな条件の人にとっても同じことが提供される、得られるのが真のバリアフリーだと。この電車の例で言うと、電光表示板できちんと情報を出して、誰でも情報がわかるようにするということですね。これはJRという事業者の責任において行うべきことです。
■ ハード面ばかりでのバリアフリーが進むことによって感じる危惧
バリアフリー、ハード面での進展はめまぐるしいです。わたしがこのブログで書いているICTの活用事例も5年前はできなかったことばかりです。
進むことはいいんですが、わたしはそのことによる危惧を2点感じています。一つは、その恩恵を受けることができる人が満足してしまい、バリアフリー改善の志を失ってしまうこと。もう一つは、社会が「これだけ機器・設備面でのバリアフリーが進んだのだから、あとは障害者の能力の問題。能力なき障害者はダメな存在」と見なす風潮が広がることです。それは相対的に、制度面や心の面でのバリアフリーの後退につながります。
やはり、事業者や自治体が自らの社会的責任でバリアフリーを進めるべきであるということを忘れてはいけませんね。今回はわたし自身に対する戒めという気持ちでこの記事を書きました。
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