楽しいひととき
 今日は、土曜日にあった文化祭の代休。出張扱いで豊中市の小学校へ講演に行ってきました。テーマは「きこえないってどんなこと? 出会いを楽しもう!」です。対象は1年生と4年生。小学校での講演は難しいんですよね。障害をもっている人に会ったことがない子が大半ですから…。で、わたし、10年ほど前から小学校ではお話のスタイルを変えました。お話15分、質疑応答25分です。つまり、半分以上を子どもたちとのコミュニケーションにあてています。
  といっても、普通の小学校の子どもたちは手話ができないですね。わたしは今まで学校での講演に手話通訳を依頼したことは一度もありません。嫌なんです。通訳を介した三角関係になるのは…。考え方の違いはあるでしょうが、わたしはその人と直接コミュニケーションがとりたいんです。すると、コミュニケーションの方法は筆談ということになるのですが、聴こえる先生に書いてもらうということはしません。これだと、通訳と同じになりますから…。わたしのやり方は、質問したい子どもにわたしのところに来てもらって、手のひらに指で文字を書いてもらうやり方です。「好きな食べもの、何?」「ぜんぜん聴こえないんか?」「今、毎日が楽しいと思う?」…など、いっぱい聞いてきました。楽しい時を過ごせました。

障害者? 障がい者?
  小学校で講演に使っているPowerPointはまた今度アップします。今回アップしたものは、高校生以上の人を対象とした障害者問題の講演で話している内容のものです。今回、これをアップしたのはこのブログを読んでいただいている高校の先生からの質問に答えようと思ったからです。いただいた質問は、「最近では、障害者という表現について、“害”という漢字は問題であるので大阪府では障がい者というように、“害”をひらがなにするようにしていますが、稲葉先生のブログでは障害者と漢字表記のままになっています。これについてどう思われるのでしょうか?」というものです。たしかに、大阪では5年くらい前から公文書では「障がい者」としています。わたしが障害者運動を始めたのは大学に入ってからですが、その時は「 」をつけて、「障害」者と表現している人もいました。

どちらでもいい問題ではないと…
 ストレートに答えますと、わたしは、障害者という表現にすべきと思います。いったい何がわたしたちを障害者たらしめているのでしょうか。社会の差別・バリア・無理解だと思うんです。これこそ障害そのものです。これはなくしていかなければなりませんね。ですから、むしろ、「障がい者」と表記することに反対です。問題のすり替えと感じるのはわたしだけでしょうか。
 この問題で、以前、朝日新聞に高齢の難聴の方が投書されていたのを読んだんですが、この方の意見がほんとうに「そう! そうですよね!」と言いたい内容でした。その方の投書内容は「社会のあらゆる差別がなくなってこそ、はじめて障害者は障害者でなくなる。その日が来るまで障害者と呼ばれ続けたい。ひらがなにすることでごまかしてはいけない」というものでした。

わたしはこだわりつづけたい
 あえて言いますと、「 」をつけて「障害」者でまあいいと思います。わたしはなくてもいいんですが…。「これこそ問題にすべきじゃないか」と思うのは、コトバだけいじっていかにも理解者であるかのようにふるまうこと。その最たるものが行政、お役所です。安売りのように「支援、支援」って言っていますが、障害者に対する施策・予算は縮小・削減され続けています。障害者は以前よりも生きにくくなっています。そういうことを隠すために、「障がい者」っていう表記でごまかしてるんじゃないかと見るのは、うがちすぎでしょうか。はっきり言って、健全者のみなさんにはどうでもいい問題でしょうが、わたしは、「障害者」という表現にこだわり続けたいと思います。
 付け加えておきますと、「障害者という表記を障がい者にすべき」という提起を障害者団体がやったということはわたしの知る範囲では無いんです。健全者というか、行政サイドから出されたものであると思います。この点でもちょっとうさんくさいと…。今回は、ちょっと感情的に書いてしまいました…。「たかが言葉の問題じゃないか。そんなにむきにならなくても…」と言われそうですが、わたしにとっては軽い問題ではないです。