「失笑を買う」の典型
 「失笑を買う」というコトバがありますが、最近、TVでこの言葉がよくあてはまる人を見ますね。東京都知事さん。誰が聞いてもウソやろと思うようなことを汗かきまくりで答弁。見てて、みっともないなあと思います。でも、思いました。「この人、ウソをつけない性格なんだなあ…」と。東京オリンピック決定からこんな状態で、文字通り、天国から地獄。たぶん、辞職されるんだろうと思いますが、また、都知事のイスをねらってヘンな人たちがうごめきだしています。大阪府民・市民だけでなくて東京都民もしっかりしないと…。

聴覚障害児は日本語と苦闘する
 今回は、漢字について考えてみたいと思います。漢字の課題、聴覚障害の子どもの場合、聴こえる子どもとは違った課題があります。「どう読むのかわからない」という問題です。なぜかというと、耳が聴こえないからです。漢字だけでなくて日本語全般でこのことが言えます。例えば、助詞。聴こえる方の中で、「小学校の先生に教えてもらったおかげで日本語の助詞を使えるようになった」っていう人、どれだけおられるでしょう? そういう人はものすごく少ないと思います。そういう力は乳幼児期にすでについているものです。まわりのいろいろな人たちからの声かけを聞いているうちにあたりまえのように覚えます。
 日本語の聞く・話す・読む・書く、一番最初のステップは「聞く」です。次に「話す」。「読む」「書く」力を学校教育によってつけていくことになります。この、「聞く」というあたりまえのことがあたりまえでないのが耳が聴こえない子どもたちです。「ろう児は言葉(日本語)と苦闘する」、昔、ろう教育でよく言われたコトバです。

聴こえないが故に…
 漢字の読みも同じで、聴覚障害児の中に、書くことはできるのだけれど、読み方をよく間違えるというケースがあります。これも聴こえないが故です。かくいうわたしもそうでした。大学の時に、視覚障害者に新聞や週刊誌などの文字情報を読むという朗読ボランティアというのをやったことがあるんですが、視覚障害者の人からときどき、「ちょっと待って。今の君の読み方、おかしかったよ」と言われました。例えば、「本人」をわたしは「ほんじん」と読んでいました。「17日」を「じゅうなのか」と読んでいました。聴こえないが故に正確な読み方を知らなかったんですね。教えてくれた視覚障害者の人には感謝です。

漢字の音訓の違いの理解も難しい
 漢字の読み方そのものだけでなく、音読みと訓読みの違いがわからない子も多いです。教科書には説明は書いてあるのですが…。こういう時は、アップしたPowerPointを使って、わたしは「コウとあっても、工? 校? 高? 公? どれのことかわからないよね。でも、“ひろ”とあったら、あ、“広い”のことだと気がつくよね。これが訓読みということだよ」とかいうふうに子どもたちに説明しています。でも、定着するのはなかなかです。
 …このPowerPoint、5年前に作ったものなのでこの程度のものですみません。