



■ すごく忙しくてブログ更新が滞ってしまいました。先日9月27日の聴覚障害の小学生・中学生によるデジタルワーク発表会、とてもすてきなものになりました。愛知県からわざわざ来ていただいた鈴木英之先生に感想をいただきましたので、ここで紹介させていただきます。
■ 愛知県新城市 鈴木英之先生の感想
・自らの疑問(課題)解決にあたって、ネットを中心に調べ学習を行い、調べた結果から自分が考えたり、新たな疑問を発表したりする活動となると思うが、自信を持って発表できるか?
・自らの取り組みの経緯を参加者に関心を持たせることができるか?
自分の課題に一生懸命取り組み、発表できていました。リハーサルの成果も出ていたと感じました。なおさら、間違えないように、失敗しないようにと時折、原稿を見てしまうのは真摯さの裏返しといえるでしょう。
大人でもそうですが、稲葉先生のように原稿にとらわれることなく話せるようになるには、長年継続した取り組みに裏打ちされた自信が必要になります。そうした経験を積む場として、こうした発表会はとてもよい場といえます。
繰り返し発表練習をし、リハーサルを行ったおかげで、取り組みの経緯も伝わり、関心を持って発表を見ることができました。
子どもたちが、参加者に問いかけたり、挙手を呼びかけたり、会場を巻き込もうと努力する姿がよかったです。また、参加者もこれに応えようと参加してくれました。参加されている方が温かい目で子どもたちを見守り、応援している雰囲気がとてもよかったです。
大人でもそうですが、稲葉先生のように原稿にとらわれることなく話せるようになるには、長年継続した取り組みに裏打ちされた自信が必要になります。そうした経験を積む場として、こうした発表会はとてもよい場といえます。
繰り返し発表練習をし、リハーサルを行ったおかげで、取り組みの経緯も伝わり、関心を持って発表を見ることができました。
子どもたちが、参加者に問いかけたり、挙手を呼びかけたり、会場を巻き込もうと努力する姿がよかったです。また、参加者もこれに応えようと参加してくれました。参加されている方が温かい目で子どもたちを見守り、応援している雰囲気がとてもよかったです。
野生動物の減少と保護についての発表
イスラム国、イスラム教についての発表
よく調べて、発表できました。どんな思いでこの調べを選んだのかがわかるとさらによかったなと思います。稲葉先生の終了後のフォロー「わからなかったことを覚えておくのだよ」という言葉かけが、子供たちの今後に生きてくると思います。それは、稲葉先生、子供、保護者の関係作りが非常によくできている印象を受けたからです。
好きなアニメや映画の紹介
○おさるのジョージの紹介→「失敗を恐れず挑戦する」→「自分のめあて」→「なりたい自分像」
○ハリーポッターの紹介→「ハリーのような不思議な力は自分にもある?」→「勝負強さ」→「他者への自己アピール」
○ディズニーアニメ→「字幕による理解」→「字幕の可能性」→「世界平和への願い」
自分の好きなアニメなどの紹介と思いきや、「社会へのアピール」するよい意味での期待の裏切りでした。楽しかったです。このようなことが教師にとってうれしいことですね。
日本と世界の関係
M君が欠席したにもかかわらず、Kさんがとてもよく頑張りました。急な代役は大人でも難しい。稲葉先生の「日本と仲が悪い国で終わらせず、仲のよい国、よりよい関係作り」に目を向けさせた指導がよかったです。よりよい関係作りには、様々な視点があると思いますが、Kさんの視点で発表できたのがよかったです。
生き物、世界の環境
H君は、生き物が好きなんだということがよく伝わってくる発表でした。「電気や水を使いすぎない」「ゴミをできるだけ出さないようにする」といった日常生活での環境を守る視点がとてもよいと思いました。Dくんの環境に対する発表は、H君のものと比べてしまうと、対策が漠然としている気がしました。でも、これが身近な目線で考えることにつながればと思います。稲葉先生の「わからないことは、わからないという勇気も大切」という助言もよかったです。
イスラム国、イスラム教についての発表
よく調べて、発表できました。どんな思いでこの調べを選んだのかがわかるとさらによかったなと思います。稲葉先生の終了後のフォロー「わからなかったことを覚えておくのだよ」という言葉かけが、子供たちの今後に生きてくると思います。それは、稲葉先生、子供、保護者の関係作りが非常によくできている印象を受けたからです。
好きなアニメや映画の紹介
○おさるのジョージの紹介→「失敗を恐れず挑戦する」→「自分のめあて」→「なりたい自分像」
○ハリーポッターの紹介→「ハリーのような不思議な力は自分にもある?」→「勝負強さ」→「他者への自己アピール」
○ディズニーアニメ→「字幕による理解」→「字幕の可能性」→「世界平和への願い」
自分の好きなアニメなどの紹介と思いきや、「社会へのアピール」するよい意味での期待の裏切りでした。楽しかったです。このようなことが教師にとってうれしいことですね。
日本と世界の関係
M君が欠席したにもかかわらず、Kさんがとてもよく頑張りました。急な代役は大人でも難しい。稲葉先生の「日本と仲が悪い国で終わらせず、仲のよい国、よりよい関係作り」に目を向けさせた指導がよかったです。よりよい関係作りには、様々な視点があると思いますが、Kさんの視点で発表できたのがよかったです。
生き物、世界の環境
H君は、生き物が好きなんだということがよく伝わってくる発表でした。「電気や水を使いすぎない」「ゴミをできるだけ出さないようにする」といった日常生活での環境を守る視点がとてもよいと思いました。Dくんの環境に対する発表は、H君のものと比べてしまうと、対策が漠然としている気がしました。でも、これが身近な目線で考えることにつながればと思います。稲葉先生の「わからないことは、わからないという勇気も大切」という助言もよかったです。
・今回の「デジタルワーク発表会」といった活動ができるのは, 「ぼちぼちEdu」に自主的に参加しようと集まった子どもたちと「学校教育」に縛られない形で「自己表現」の一助としてのICTの利用を考える稲葉先生だからこそできたものではないのか?
やはり、「ぼちぼちEdu」に自主的に参加してきた生徒(保護者もその取り組みに賛同している)の強みがあると思います。また、稲葉先生の学校ではできない取り組み(教師の思いを前面に出した環境作り)の良さを感じました。
普段と違う会場での機器設定は大変だったと思います。司会の先生、手話の内容をスクリーンの表示してくださった方、ぼちぼちEduのスタッフの働きには頭が下がります。また、参観に見えた方の発表を見守る暖かい視点もうれしく思いました。学習指導要領や教科書にしばられない学習の良さを感じることができました。
普段と違う会場での機器設定は大変だったと思います。司会の先生、手話の内容をスクリーンの表示してくださった方、ぼちぼちEduのスタッフの働きには頭が下がります。また、参観に見えた方の発表を見守る暖かい視点もうれしく思いました。学習指導要領や教科書にしばられない学習の良さを感じることができました。
音声認識技術が進んできたので、話者の言葉が機械的にスクリーンに表示されるようになるのも近いかもしれません。カメラが手話を読み取りスクリーンにテキストが表示されるようもなるかもしれません。技術が、健常者、障害者の垣根を取り去る日が来るといいなと思います。
戦後の高度成長期、多くの人が思っていた「努力すれば報われる」「学習の価値が、社会的な価値につながる」だから「学校は行かなければならない。学校の勉強を頑張らなければいけない。」といった、今にして思えば幻想的な「学校観」は失われつつあります。
今、個々の児童・生徒の要求に応じた学校対応が求められています。が、これは無理なことです。様々な学びの場が存在する中で、自らの学びの場を選択できるようにすることが必要なのかもしれません。もちろん選択する側も「選択する限りは最後までやり抜く責任をもつ」ことも必要でしょう。そうした「学びの場」の一つのモデルが「ぼちぼちEdu」であると感じました。
日本を支える人材の育成の土台としての「義務教育」のあり方について、見直す時期に来ていると思います。「きめ細かな指導」は限界に達しつつあります。子どもに対して、学校にばかり求めるのではなく、「家庭」が、「地域」が、「社会」がもつべき責任を明確にすべきだと思います。
誰も個として責任をとることを潔しとしない社会。だからこそ、対応しきれないことがあることを認め、対応しきれないことを減らすよう個々が意識する社会。よりよい人間関係作り、対話を大切にする社会を目指すことが必要ではないでしょうか。ICTについても、人の挙げ足をとるのではなく、よい活動を認め、広げていく技術。どんなに技術が進歩してもどうにもならないことがあること。昔から言われる「人様に迷惑をかけないようにする」「ものを大切にする」といった思いを共有する技術としての進歩を期待するばかりです。
今、個々の児童・生徒の要求に応じた学校対応が求められています。が、これは無理なことです。様々な学びの場が存在する中で、自らの学びの場を選択できるようにすることが必要なのかもしれません。もちろん選択する側も「選択する限りは最後までやり抜く責任をもつ」ことも必要でしょう。そうした「学びの場」の一つのモデルが「ぼちぼちEdu」であると感じました。
日本を支える人材の育成の土台としての「義務教育」のあり方について、見直す時期に来ていると思います。「きめ細かな指導」は限界に達しつつあります。子どもに対して、学校にばかり求めるのではなく、「家庭」が、「地域」が、「社会」がもつべき責任を明確にすべきだと思います。
誰も個として責任をとることを潔しとしない社会。だからこそ、対応しきれないことがあることを認め、対応しきれないことを減らすよう個々が意識する社会。よりよい人間関係作り、対話を大切にする社会を目指すことが必要ではないでしょうか。ICTについても、人の挙げ足をとるのではなく、よい活動を認め、広げていく技術。どんなに技術が進歩してもどうにもならないことがあること。昔から言われる「人様に迷惑をかけないようにする」「ものを大切にする」といった思いを共有する技術としての進歩を期待するばかりです。
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